2010年6月20日

タンザニアから帰国しました!

タンザニアから帰国しました!


3月下旬に無事に帰国しました。

無事に帰国できたのも皆さんのおかげです。
タンザニア赴任中、応援・メッセージ・支援を下さった皆さま、本当にありがとうございます。


2008年3月下旬にタンザニアに到着してからちょうど2年間。
正直言ってあっという間に過ぎてしまった2年間でしたが、この2年間は私にとって本当に大きな2年間でした。

今回は2年間のタンザニアでの生活を終えるに際しての気持ちを書いてみたいと思います。
任期終了時に、国際協力機構に提出した報告書に書いた文面を引用しながらここにも書き記してみたいと思います。



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全体について

2年間という期間をかけて築いてきた人々との交友関係や慣れ親しんだタンザニアでの生活とお別れをしなければならないことには率直に寂しさを感じる。
日本でまだ仕事をしたことのない私にとってタンザニアで「教師」という仕事をさせてもらえたことは非常に有意義な経験となった。

この2年間、私がタンザニアの人々から受け取ったもの・教えてもらったものは本当に大きく、大切なものばかりである。タンザニアの人々に心から感謝している。タンザニアの人々への愛着を、タンザニアという環境への感謝をこれから先どうやって行動に移していくか、今後の私の人生にとって大切なテーマになってくると思う。



活動の成果

2年間「理数科教師」として配属先の学校で生徒と関わらせてもらい、任地ルクレディで1人の人間として2年間生活させてもらえて本当にいろいろなことを学んだ。満足感と感謝の気持ちでいっぱいである。

私にとっては初めての教室型教師の経験であったので、その難しさや楽しさなど学校の教師という仕事に対する様々な側面を体感することができ非常に有意義であった。

この貴重な経験がタンザニアのルクレディというこの場所でできたことは一層その印象を強めてくれている。

私が関わった生徒たちが卒業後、それらの経験を少しでも何かに役立ててくれれば、それが活動結果と呼べる成果になるのかもしれない。
しかし、目に見える成果として残ったものは残念ながら特にない。学校の環境や運営状況、先生の態度などは変わっていない。また本校の理数科科目を取り巻く環境やタンザニアという国全体としての理数科科目を取り巻く環境は依然として非常に厳しいものがある。



隊員としての経験について

協力隊員としてタンザニアの人々と近い距離で2年間生活させてもらえて本当に多くのことが学べたと思う。

この2年間で体感したことは、

人間の根本的な在り方に対する自分なりの見解
であったり、
日本を外側から相対的に見る私なりの視点であったり、
この世に存在する価値の概念富・豊かさに対する根底からの問いかけであったり、

少々哲学的な考察が多く含まれている。


基本的な人間の生活に必要な衣・食・住や「健康で文化的な人間の生活」に必要な医療・教育などを取り巻く環境がこれだけ大きく異なる国で生活させてもらえたことは私の今後の人生に間違いなく大きな影響をもたらす。

現代日本の環境で生まれ育った私が上記のようなことと真剣に向き合うためには日本を出て「途上国」と呼ばれる国で生活することが必要だったのだと改めて感じると共に、日本の環境が今まで私にもたらしてくれた恩恵に果てしない感謝の意を感じるのである。

そしてそんな身勝手な私を温かく迎え入れてくれ、いつも優しい笑顔で私と接してくれたタンザニアの人々と環境にもこの上ない感謝の念を抱いている。

タンザニアという、日本以外にこれほどまでに愛せる国と出会わせてもらったことに心から感謝したい。



帰国後ボランティア経験を社会に還元または発信するための方法と計画

「価値観の多様性」についての重要性・素晴らしさについての認識がこの2年間のボランティア経験でさらに深まったと思うのでその点について何らかの形で貢献していけたらこの上ない幸せであると思う。

しかし「日本社会」にこれらの経験を還元するということについて、積極的に具体的に何かをしていきたいという強い思いは特にない。
日本にもいろんな価値観を持った人々がいて、その中には価値の多様性を主張することが「不利益」につながるとして敬遠する向きもあるであろうし、またそういう考えも非常に大切な価値観の一つである。

よって自分から必要以上にこの経験を主張していこうというつもりはない。
主にしていこうと考えているのは

「タンザニアとの繋がりを切らない事」
「タンザニアに恩返しができる何かを少しでも自分なりに探すこと」

である。

この2年間、私がタンザニアの人々から受け取ったもの・教えてもらったものは、私がタンザニアの人々に与えたものよりも間違いなく多い。

そしてその事に私は畏敬にも似た感謝を感じている。

どんな小さいことでも間接的なことでもタンザニアの人々に想いを持ち続けること
そしてこの2年間の経験を踏まえて自分の行動を自分なりに制御していくことが大切である

と私は感じている。



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2年前までは地図を開いて「こんな所にあるのかぁ」と思ったり、
データ集を開いて「こんな性格を持った国なのかぁ」と把握を図ってみたり、
そんな捉え方しかできなかったタンザニア。

でも今は全く違う捉え方ができます。


顔と名前がわかる人がタンザニアに大勢いる。

昨日の事のように思い出せる彼らの笑顔や笑い声がある。

突き抜けるような青空や静まり返った星空を知った。

緑豊かな大地の恵みに2年間守られた記憶がある。



この身体のどこかに深く刻まれたこれらの印象を大事にしながらこれからも生活していきたいと思います。この2年間の「終わり」が新たな「始まり」を意味していることは言うまでもありません。


私を支えてくれ、応援してくれ、助けてくれた

温かきタンザニアの友人に

タンザニアで働く日本人スタッフに

日本から応援してくれた家族・友人・恩師の皆さんに

心から感謝申し上げます。


本当にありがとうございました。






このブログを更新するまでに帰国してから3カ月も経ってしまいました。
更新頻度が低く、申しわけありません。

また今年1月から一度も更新しておらず、すみませんでした。

しかし、まだまだ更新していきたい投稿(タンザニアで感じたこと・体験したこと)がたくさんあるので暇を見つけては少しずつアップしていきたいと思っています。

また日本での生活で感じたこともこれから少しずつ書いていければと思います!

もしよかったらこれからも時折ご覧ください。


2010年6月20日

2010年1月19日

スワヒリ語は無礼な言語!?

スワヒリ語は無礼な言語!?


みなさん御存じのようにどの言語にも丁寧な表現というものがあります

日本語にも敬語があって、立場が上の人や初めて会う人に対してはしゃべり方が全然違います。

英語にも丁寧な表現・言い方がありますし、
ドイツ語では2人称の言い方が異なります。
親しい人はdu(あなた)で表現し、敬意を示す場合や初対面の場合ではSie(あなた)が使われるそうです。きっと他のどんな言語にも丁寧な言いまわし、表現があるのではないか?と私は思っています。


そしてもちろんスワヒリ語にも丁寧な表現というものが存在します

特に相手に何かを依頼するときや命令する時の表現は文法上違った形を用いてその言い方の丁寧具合を変えることができます。

例えば人を呼び、こちらに来させたい場合の命令表現をより荒っぽい順に表現すると

1)Njoo! 
単純命令形。一番一般的な言い方。

2)Uje.
接続法という文法に従った依頼・命令形。この形でお願いすると丁寧な響きになるのが一般的。

3)Naomba uje.
上の2)の形に「お願いします」を意味するNaombaを追加した形。これを組み合わせると本当に丁寧な響きになる。

4)Tafadhali uje.
上の2)の形に英語の「please」に相当するtafadhaliを追加した形。普段tafadhaliが使用される頻度が少ないため、これは非常に丁寧に聞こえる

となります!

しかし!!普段2)~4)の表現が使われることはあまりありません
生徒が先生を呼ぶ時もNjoo!が使われることが多いです。つまり命令・指示・お願いをするときに「文の種類の上で」一番無礼な言い回しが多く使われているということになります。

この例のようにスワヒリ語にも丁寧な表現が存在するにも関わらず普段人々はそれをあまり使用しません。
これにより本投稿のタイトルになっている以下の言葉をタンザニアにいる外国人(日本人含む)の人から耳にすることがあります。

「スワヒリ語は無礼な言語」
「タンザニア人は失礼な人が多い」



この言葉を全否定はしませんが、私は必ずしもそうではないなと感じることが多いです。
もちろん本当に敬意や遠慮が全くなく相手を侮辱するような態度でNjoo!(来い!)と言う人もいます。

しかし1年以上タンザニアに滞在して、タンザニア人的感性も少しずつ身についている(自分の思い込み?でないといいですが)今の状態ではこのNjoo!という言葉自体からだけでは失礼だとか礼儀がないとかいう印象は受けません。

日本語で生徒が先生に「来れますか?」「来てください」の代わりに「来て!」と言ったら問題になるのとはわけが違うように思えてしまうのです。


同期隊員のおさむちゃんが以前に言っていたことで私も同感させられた言葉は

「タンザニア人は誰でも自分の家族のような感覚があるんじゃないかな?
うちらも自分の家族に敬語でしゃべらないじゃん?それと一緒な気がするんだよね」


です。確かにそうだなと思いました。

初対面の時は「来てください」と先生に向かって言っている日本の生徒が、その先生と打ち解けた後に「ちょっと来て」と先生に言っているケースも考えられます。私が生徒の時もそういうことはありました。もちろんその先生、生徒の人柄・性格や状況によって変わることだとは思いますが。


そしてやっぱり大切だなと思うのがその人が出すしゃべる時の態度・雰囲気、それにその時の状況です。


表情、視線、声のトーン、しぐさなど言葉自体からだけでは伝わらないコミュニケーションに必要な要素がその表現の質・品格を決めているということに改めて気がつきました。

積み重ねた信頼や親近感があれば、その時の表情が優しければ、言い方が丁寧であれば
Njoo!と言われても全く無礼だとは感じません。

また逆にそれらの要素がなければ、言葉自体がいくら丁寧な表現を使ってもそこに優しさや丁寧さを感じないというのが我々人間の共通の在り方ではないのでしょうか?

そんなこと当たり前だと言われてしまえばそうなのかもしれませんが、スワヒリ語というコミュニケーションツールを用いてタンザニアの人々と暮らす中で、また「タンザニア人は失礼な人が多い」という外国人からの意見をたまに耳にするなかで、そんな事を改めて考えました。

初対面の人でもまるで自分の家族のようにこちらの状況に関心を示してくれ、自分の家の中にまで招待してくれるタンザニアの人々が大勢いるということは私たち隊員が日々感じている事実です。

言語はそこにいきる人々、その人々の生活・文化・慣習と共にある
言語はそこにいる人々の有様を写す鏡である


このことを改めて認識させられました。

これからもタンザニアの人々とたくさんコミュニケーションしていきたいと思います。


2010年1月18日

タンザニアの天使たち

私たちの天使:タンザニアの子供たち


子供の無邪気さ、それに対する愛おしさは世界中どこでも全く同じなのではないか

そう思います。
これはタンザニアにいる隊員に限っても、誰もがみんなそう言います。
日本でもそれは一緒なはずです。タンザニアに来てから本当に多くのこどもと触れ合う時間が多くこどものすごさに改めて気付きました。

子供は本当に天使のような存在ですね。

スワヒリ語でも小さな赤ちゃんをmalaika(マライカ;天使という意味)と呼ぶことがありますが本当に納得です。

そんなタンザニアの天使たちの素敵な笑顔を少しですがご覧ください☆



velonika(ヴェロニカ) 同僚の先生の親戚の子供


どんな悲しいことがあったのでしょうか??
タンザニア中央部イリンガ州のマフィンガという町で偶然出会ったこども


タンザニア南東部、我らがムトワラ州のチウングトゥワ村で出会った子供たち



タンザニア南東部、我らがムトワラ州のチウングトゥワ村で出会った子供たち(その2)


zita(左)とjudith(右)
ズィータもジュディスも近所に住む幼稚園生。よく一緒に遊んでくれる子供たち


2010年1月18日

2010年1月18日

タンザニアグルメ ネズミ

タンザニアグルメ ネズミ

今日はおかずとしてのネズミを紹介します!!

ネズミはタンザニア全土で食べられているわけではありません!
私の活動しているタンザニア南東部が一応有名(?)ですが、南東部においても広く食べられているわけではありません。

隊員がいる任地の中ではおそらく私の任地ルクレディ(Lukuledi)くらいでしょう。
ということでネズミは私の任地ルクレディ(Lukuledi)の特産品(!?)と呼べそうです


第一の都市ダルエスサラームにいる時に色んな人と世間話をしている中で、自分の村ではネズミを食べるのが一般的であるという話をすると、ダルエスサラームの人々でもかなりビックリします。信じない人もいます。以前にも書いたかも知れませんがダルエスサラーム生まれダルエスサラーム育ちの若者はきっと大多数のタンザニア国民とは違う感性をもっているのかもしれません。

私が「食べたことがある」と言うとかなり引いた顔をする人もいます!
ダルエスサームの町っ子にとっては田舎の生活は想像できないものなのかもしれません。

日本にいた頃の私がタンザニアの村の人々の暮らしがどのようなものなのか想像できなかったように。


ネズミ、私も食べましたが

私は正直あまり好きではありません。

体が小さいので肉もあまり付いていないし、特有の臭みがあります。
きっと食べ続けて慣れれば、おいしく感じるようになると思うのですが。

食べるネズミは家の中にいるネズミ(例えば私の家の天井裏にいるネズミ)ではなく、草原・茂みの中にいる「野生のネズミ」です。

ネズミを捕まえることを仕事にしている村人がいて、彼らは草原・茂みに行って「ネズミ捕りの罠」をしかけておくそうです。一度にけっこう大量に捕まえるんだとか。

実はリチャードのお父さんも「ねずみ狩」の一人です。

捕まえたネズミは、屠殺し、内臓を取りだすなどの下処理をした上で売られています。

値段はというと、、、一束5匹で200Tsh(約20円)です。本当に安いです!!

ですがこれこそが彼らがネズミを食べる理由の一つなんだそうです。

多くの村人は家畜としてを飼っていますが、鶏もそこまで早く成長するわけではないので肉が食べたいからと、どんどん食べてしまえるわけではありません。自分たちでは食べずに、売って現金収入の一つとしている人も多いです。
鶏一匹の値段は大きさや太り具合によって5000Tsh~10000Tshくらいの間で変わるらしいです!

その他に有名な家畜として牛、豚、山羊(ヤギ)が挙げられますが、これらを飼うには莫大な資本と時には餌代も必要になります

大きい牛になると一匹の売値が30万Tsh(約3万円、日本円で考えると安いかもですが、タンザニアでは大金です)を超えるそうです。これはもやは庶民が飼える家畜ではありません。
これらの肉は「量り売り」で売られていますが、たとえば豚肉の最近の値段は1キロ3500Tshなので、多くの村人には「手が出ない食べ物」です。

ということから、通常の肉である牛、豚、山羊、鶏が買えない村人が「肉を食べる手段」としてたどり着いたものなんだそうです。



日本ではネズミはミッキーマウスをはじめとするキャラクターを例外として、動物のネズミのイメージはあまりよくないように思います。
「好きな動物は何?」と聞かれて「ネズミ」と答える人はほとんどいないと思いますし、
日本で「ネズミをおかずとして食べている」という話をきいたことはありませんでした。
なので初めてネズミが出てきた時は正直、私の中に抵抗感がありました

見た目にも抵抗感があるし、不潔な動物であるようなイメージが頭をよぎりました。


しかしよくよく考えて見れば全然そんなことはないのです。

よく見れば、普段おいしいと言って食べている「」だってかなりグロテスクな顔をしているし、
その辺を歩き回って地面に落ちているものを食べているという意味ではネズミは「」と何も変わらないはずです。(村にいる鶏は完全な放し飼いでゴミ捨て場をあさっている鶏も多くいます)


つまり私をためらわせたものは「客観的な事実」ではなく「主観的な先入観・偏見」だったと思います。

きっとこの村に生まれ、小さい頃からネズミを食べていたら私も「おいしい」と言ってモリモリ食べていたと思うのですが、今の自分はやはり大好きになることはできません。



以前の投稿に出てきた中学の頃のA先生の影響で私は

「嫌いな食べ物がない」

というのを自慢にしています(笑)

A先生は

「どんな場面でどんな食事を出してもらった時でもそれをおいしく食べることができたら、人生とっても楽しいじゃないか」

と私たち生徒にいつも言っていました。

これを聞いたのが中学2年生の時。それ以来これを意識して「食わず嫌い」をやめ、おいしいと思って食べるように心がけました。すると本当にどの食べ物もおいしく思えてくるので素敵です


これを実践するようにすることで実際人生はとても楽しくなると感じています。
「食べること」は毎日行うべき「人間の基本的欲求を満たす作業」だと思うので。


ネズミは自分の「主観的な先入観・偏見」によって邪魔されている食べ物ですが、この偏見もいつかなくなればいいなと思っています。


そのためにはもっと人々と交流を深めることが一番かなと思います。


「トウモロコシのウガリ」と「おかずのネズミ」


ネズミのスープ



リチャード一家の食事風景の中で写真を撮らせていただきました


2010年1月14

村における家庭の風景

家庭の風景


私の村で見ることのできる、家庭の風景をいくつか紹介します。

家の軒先で語り合い、戯れ合う男衆



その隣で食器洗いをする奥さん



こちらは私がよく話をする家族、エリス・リチャード一家
2人の子供の名前がエリス(女の子、姉)、リチャード(男の子、弟)と言います。

これが一般的な「村での家族の食事」の風景


村人は農業に従事する人が多いのですが、私のいる村の人々の一般的な一日の過ごし方は

朝(夫のみまたは夫婦で)家を出て行き畑などで働き、午後2時頃家に帰ってきてから家族みんなでご飯を食べてそれ以降は家で過ごす。

というものです。

これはその昼ごはんの様子です。
家の前にゴザを敷いて、そのうえでウガリの乗ったお盆をみんなで囲むのが一般的なスタイル!!

昼過ぎに村を歩いていると、よく見かけますがとっても微笑ましい光景です!
やっぱり家族みんなで食事をすることはとってもいいことだと思わせてくれる温かい光景です。

今日のウガリはキャッサバのウガリですね!!普通のトウモロコシのウガリに比べて粘り気があってとっても美味しいです!
実は私も大好きです!キャッサバの粉は普通は売っておらず、またキャッサバで作ったウガリは外のお店では食べられないので、村人の家で食べさせてもらうのが普通です。


今日のおかずは豆ですね~



タンザニア同期のみゆき隊員が2008年5月、自身のブログ(Something Great;このページからもリンクがあります)に

ここには人が生きていく上で最低限必要なものしかない。
その必要なものは私達にも変わらないはず。



と書いていました。2008年にタンザニアに到着して約1ヶ月後、タンザニアの村に1泊2日体験ホームステイを我々(当時の)新隊員がさせてもらった時の投稿でのことです。この言葉も思い出しつつ


家族そろって食事をすることってやっぱり誰にとっても大切なことなんだ


って思います。


2010年1月13日

天井を破って落ちてきたもの

天井を破って落ちてきたもの


去年5月の話なのですが(あり得ないほど遅れての投稿ですが)、家の天井から「ある生き物」が落ちてくるという大惨事(!?)が起きました。

本当にビックリしました!今でも思い出すと少し嫌な気持ちが蘇ります。


私の家の裏手はもうただの茂みで人間の家がない所なので、いろいろな虫、動物がでる可能性を秘めています。

普段、天井裏にはよくネズミがいます。かなりいます。そして頻繁に「ネズミが駆け回る音」がしています。
彼らが素早く走り回る「カタカタ」という音がいつもしています。もう今では慣れてしまって特に何も思わないほどです。

しかし去年4月頃から一番奥の、「普段何にも使っていない部屋」の天井から「ガサガサ、ゴソゴソ」といういままでとは明らかに違った音がし始めました。

当初はたいして気に留めていませんでしたが、ネズミとは違った生き物が天井裏に入ったことは察しがつきました。

そして5月14日。事件は起きました。
夕方4時半ころ、家でゆっくりしていた時に奥の部屋で「ドーン」という音がしました。

その時点でかなり嫌な予感。。。

恐る恐るその部屋をのぞきに行ってみると、、、

とてつもなくデカイ、、、、ヤモリ!?っぽいものがいました。

普段、私の家の中にはヤモリもたくさんいます。もちろん普通の小さい奴です。私は別に嫌ではないので、退治もせず共存しています。
そこから一瞬ヤモリかと思ってしまいました。

ですがこいつはデカすぎます。なにしろ自分の重みで天井が破れてしまうくらいですから(笑)
後に分かったことですがこいつは「大トカゲ」でした!!

彼自身も自分が一瞬にして天井裏から部屋の床に落下したのに驚いたのか、ビクともしません。
その時点では彼が何者かも分かっていない私でしたが、敵か味方かと言われれば「敵と断定せざるを得ないデカさ」だったので私は対処法を考え始めました。


私は彼を刺激しないように静かにその部屋のドアを閉め、急いでとなりの職業訓練学校の生徒に助けを求めました!

「やばいデカさの、、ヤモリみたいなやつが家に出た!!助けて~」

というと3人の生徒が木の棒を持って私の家まで来てくれました。

4人で家の中に入りました。私は怖かったので少し離れたところから見ていました。
1人が例の部屋のドアを空けました。

すると、、、なんと、、彼は消えていました!!

壁を登って天井裏に帰ったのでしょうか?そんなはずはありません。あんなデカい体では登れないでしょう!

部屋にはいくつか段ボール箱が置いてありました。

「きっとそこに隠れたに違いない」

一人が段ボール箱を少し動かすと、、、トカゲは恐ろしい速さで走りだし手前の部屋(食べ物や水が置いてある部屋)の窓から逃げようとしました。私はびっくりして玄関側に逃げました(←臆病者)。
おもしろかったのは助けにきてくれた3人のうち1人が私よりさらに怖がってその時点で家を飛び出してしまったことです(笑)
あとの2人は全く動じていませんでした!!

窓には金網と網が張ってあるのでトカゲ君は通り抜けはできません。
すると彼ら2人は持っていた棒でトカゲの体を金網に押し付け、首のあたりをもう一つの棒で抑え窒息死させようとしました。

格闘中の生徒たち(と窓枠に押さえつけられている大トカゲ)



トカゲはなかなか息絶えず、その時間はかなり長く感じました。

彼が死んだと判断した後、彼を少し離れた所にある穴に放り込みました。
生徒たちが言うには「子供を産んだら困るから殺さないといけないんだ」だそうです。

本当にびっくりしました。今この文章を書いていてもすこし鳥肌が立ちました(笑)
事件が起こったのがまだ明るい時間帯で、部屋も普段使っていない部屋だったのでよかったですが、
もしも真夜中に寝室にトカゲが落ちてきてら、、、と考えるとゾッとします!!

あの生き物はスワヒリ語でなんていうんだ?と聞いたら「Kenge」だと教えてくれました。
辞書で見てみると、日本語訳は「大トカゲ」でした!!「でかい+トカゲ」と2語でなく「kenge」1語で「大トカゲ」なんだ~と無駄に納得していまいました。

トカゲの侵入経路がよく分かっていないので再発の可能性があるのがちょっと嫌ですが、今現在まだ大丈夫です。

家を蝕むシロアリや今回のトカゲなど色々な生き物に脅かされながら、毎日生活するのも現在の日本ではなかなかできない経験ではないかと思います。


日本では家の木材、壁なども防腐剤や防虫剤があらかじめ処理されているでしょうし、そもそも非常に精巧に作られているでしょうから、屋根と天井の間ににトカゲが侵入するような隙間もないと思われます。

日本の家屋の頑丈さ、緻密さ、そこから生まれる「住の安心感」というものに心から感心する機会となりました。




息途絶えたトカゲ

違う角度からもう一枚


2010年1月13日

2009年8月29日

タンザニアグルメ カシューナッツ

タンザニアグルメ カシューナッツ

カシューナッツはタンザニア南東部の特産品です!!私たちの住むムトワラ州もカシューナッツの木がいっぱいあります。

カシューナッツはスワヒリ語では korosho (コロショ) と言います!

カシューナッツの木をタンザニアに来て初めて見ましたが、カシューアップルという実がなっていてその下にカシューナッツの実がなっています!

カシューアップルは スワヒリ語では mabibo (マビボ) と呼ばれていますがこれもこちらの人にとっては重要な食べ物です!!

そのまま食べてもとってもジューシーでおいしいですが、このカシューアップルから人々はお酒(地酒)をつくります。
このお酒、とってもとっても強くて(違法なお酒らしいですが)アルコール中毒のようになっている村人を
生み出している程です。
私は元々お酒が弱いので、怖くて味見すらしていません。
他の隊員の人でも飲んだことがあるという話は聞いたことがありません。


今日はカシューナッツの実からカシューナッツを取り出す作業を紹介します。


これがカシューナッツの実です。

まずこの実を火にかけます。中にいっぱい油が詰まっているので、火で焙るとすごい炎です

すごい炎


これが焙った後のカシューナッツの実です。


これを叩き割ると、中からカシューナッツが出てきます!

とってもおいしいですよ!!


2009年8月28日